2018年1月14日日曜日

1/14 礼拝と献花

 1/12からの寒波は、山陰地方にも大雪をもたらしました。
道路事情により、1/13の益田、六日市礼拝は休止となりました。
1/14早朝、徳山Cの礼拝堂も冷え切っていました。
しかし、前日から会員の方が御掃除をして下さり、またお花を届けてくださったりと、
そのお気持ちで礼拝堂が温かくなったように思えます。


こちらがその、前日に捧げられたランの花です。

1/14、徳山Cの礼拝は行われました。
礼拝後の愛さんに残られた方も多く、マイタケの炊き込みご飯、大根とおあげの みそ汁を感謝して頂きました。

今週の教会行事は以下の通りとなります。

1/16 火曜日 聖書の学び 15時より
1/18 三役会 光市にて
1/20 13時 益田市小浜礼拝
    14時 益田教会礼拝
    19時 六日市礼拝
1/21 10時45分 徳山礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。



【マルコ福音書19-11節】
 雲の切れ間から、光が地面に差し込む様子は良いものです。この光の様子は聖書記事になぞらえ「ヤコブの梯子、天使の梯子」と呼ばれています。そして「天が裂ける」そのことは、イザヤ書639節を見ますと「神さまのご介入」と見做されていたようです。主が洗礼を受けられると、天が裂けたという10節の記述は、聖書の伝統を重んじる洗礼者ヨハネの眼に、まさに「神さまのご介入」と映ったことでしょう。それを見る他の洗礼者にも同様のことでしょう。

 神さまはこの世にどのように介入されるのか。それは主に下った「鳩のように下る霊」に明らかとなります。他の鳥でない、鳩なのです。鳩は聖書では安定、平和の象徴です。それが下ります。鳩も他の鳥類と同様、翼を広げて着地します。この世を安定と平和で覆うために、神さまは主をこの世に遣わされたのです。それは人が主によって安定と平和を抱き、前向きな心で生きるためにです。主はそのために、洗礼をヨハネから受けられたのです。

今日の聖書直前で、洗礼者ヨハネが登場し、罪の赦しとしての洗礼を授けています。なぜ主がこの洗礼を受けられたのか。主に罪はありません。むしろ主は、人々の罪を自身の罪とするために洗礼を受けられたのです。これまで罪の赦しは、金品や捧げものとの代替で得られるとされてきました。持たざる者は、赦されざるものとなってしまうのです。ヨハネも主も、その現状に反発する心で活動します。神さまの介入はこれで終わりません。主の十字架と復活をもって、全ての人に知らされることになるのです。主も神さまの介入に戸惑いつつも、「御心に叶う」と、今日の聖書に登場した言葉をもって十字架を受け止めるのです。

今日、主は「ナザレのイエス」として活動を始められました。福音書の最後に「あなた方は十字架に付けられたナザレのイエスを探しているが…」とあります。神さまは主を、人の子として成長させる一方で、人々の罪を担う神の子として十字架と復活を体験させたのです。神さまは主を誕生させ、この世とそして私たちと結びつけて下さいました。その私たちは今週も生きる者です。生活の局面で起こる不可解なことも、み助けの中で克服できるのです。