2017年9月3日日曜日

 9/3 海と献花と礼拝

 空はすっかり秋の空。9/2の小浜礼拝前の海です。

花もすっかり秋の花。9/3の徳山礼拝後の献花です。

昨日、本日ともに、益田小浜、益田元町、六日市、徳山では礼拝が行われました。

益田小浜礼拝では、いつもの方が集われて短い礼拝を行っています。

益田元町礼拝では、六日市の方が礼拝に集われました。

六日市礼拝では、カナダから帰省された会員お姉さまが集われました。

徳山礼拝では、骨折療養中の兄弟が集い、その後に皆で会同清掃をしました。

聖書の学びが再会します。今週、来週ともに以下の日程で集会、礼拝が
 行われます。

9/5 (火)15:00 徳山 聖書の学び

9/9 (土)13:00 益田 小浜礼拝
      14:00 益田 元町礼拝
      19:30 六日市礼拝

9/10(日)10:45 徳山 礼拝 

礼拝後、コンサート 入場無料

「バンドネオンとピアノのデュオコンサート」です。


いづれの礼拝、集会ともにどなたでもご自由にお集まりいただけます。

本日の礼拝メッセージは以下の通りです。



【マタイ福音書1422-33節】
 弟子たちの心根は不思議の一言に尽きます。弟子たちは今日の聖書直前で、主の「五千人の給食」を目の当たりにしました。それから時が経っていないのに、主を「亡霊」と見做すのです。ですからここで弟子たちは、①主を既に亡き者としているその主が、この世に遺した自分たちに心残りなことを訴えに来ている、と考えていたのです。主の弟子たちは聖書で、不甲斐ない姿で描かれることが基本なのですが、ここでもそうなのです。

 それでも、「五千人の給食」を目の当たりにした直後の弟子たちは、いささか度を越していますね。このマタイ14章で、主は「神と人とのつながり」をテーマにしておられます。弟子たちは前段落では、主に大群衆の責任を押し付け、今日の聖書ではまず、その主を亡霊扱いします。「安心しなさい」という主の言葉を聞いていないのか、腑に落ちていないのか、「主よ、あなたでしたら」と、まだ亡霊扱いを止めません。そもそも主は弟子たちを「強いて船に乗せる」のですが、それは弟子たちの訓練という意味があったのでしょう。その主の真意を解さず、今なお弟子たちは自分たちという枠にこだわるのです。

 主は弟子たちに不信仰を告げます。この不信仰は、湖上の一連の出来事だけでなく、「給食」の出来事を見ても解さない弟子たちに向けられたものです。その不信仰の言葉は、弟子たちを代表してペトロに向けられます。けれども主は、不信仰を告げつつ、その弟子の船に共に乗るのです。これが福音なのです。何事にも動じない不動の信仰は素晴らしい、しかし、例え動じてしまっても、主は自らの身を弟子たちと共に居らせるのです。そのことのために、あえて主は弟子たちだけを「強いて」船に乗せ、自身は祈ったのです。

 弟子たちは主を「神の子」と告白しますが、その弟子たちはやがて離れて行きます。奇しくもこの言葉は、主の十字架の時に、異邦人である百人隊長の口から出ます。そういう弟子たちが、やがて教会の核となっていった、変えられていったことも大事です。主は、時に右往左往し、居場所や所在を無くすそのようなものを導いて下さるお方なのです。