2016年9月18日日曜日

9/18 礼拝と説教と献花

 本日の献花でした。
花のことは分かりませんが、おそらく季節の花なのでしょう。
感謝です。
 先週、教会鐘つき堂の前の草引きが行われました。
ご夫妻が一生懸命にしてくださいました。

また、草引きだけではなく、強い草も植えていただきました。
成長が楽しみです。

  本日も、徳山、柳井、防府での教会の礼拝はそれぞれ行われました。
 徳山は本日、白ご飯と具だくさんのお汁でした。
 お代わりがしたかったのですが、残念。

今週、来週と以下のように行事があります。

9/20(火)徳山C聖書の学び
  15:00~16:00
台風の進路で休会する場合もあります。

 9/22(木)には、
       益田にて、小浜礼拝13:00~
       益田教会では 14:00~ 礼拝、 
        六日市礼拝 19:30~ です。

 9/25(日)徳山10:45~
       柳井10:30~ 
        防府15:30~




いずれの礼拝、集会にもどなたでもご自由にお越し頂けます。

 本日の礼拝説教のまとめです。



【ルカ福音書1619節】
会計総決算の日即ち管理人には職務最終日です。私たちにはこれは自身の人生にたとえられるでしょう。この世に生まれた人は、誰もが別れる日が来ます。誰が自分の人生に無駄は無いと誇れるか。時間の無駄使いや不正はないと誇れるか。管理人は、他者に恩着せをすることで、離職後の場所を作ろうと試みます。この話の意図を知りたいのです。

実はこの例え話は、全く反対に読み得ます。一、管理人は不正者という従来通りの読み方は、解説が要りません。ニ、管理人は公明正大という読み方も出来る。無駄使いの真偽は不明であくまでも告げ口からです。土堀を恥じるのも、自らに偽りが無い故でしょう。そして証文偽造。当時は利息禁止(2223)でしたが、現実は利息を付けて金貸しをしていました。管理人は不当利得分を消去。不正者は管理人でなく主人というものなのです。

ですからこの例え話では何が、誰が不正者か釈然としません。主は意味不明な例え話をなさる方ではない。この話の要点は、不正の勧めでなく、友を作ることす。この友とは地上の友人ではない。主が友なのです。私たち自身は、無駄が多く、不正に手を染めることが多い。煩悶が多い私たちです。主を友と為して良いか。相応しくない私がここに居る。

ルターは大胆にもこの管理人を主と解釈しました。つまり、管理人の無駄使いの真偽は不明です。しかし告げ口で管理人は決算を迎え、主は十字架を迎える。迫る決算を前に主は赦してゆく。主の生き方と重なります。私たちの日々の営みは果たして主の御心に叶うかどうか。それは不明だが、無駄使いが多く知らずに行う不正も多いのです。主はそんな私を友と為すのです。罪びとを招くのがイエスさまなのです。それが、この世にあって命を与えられている「光の子」としての生き方なのです。やがて永遠の家が私たちを待つのです。

2016年9月15日木曜日

9/13 柳井C

 教会正面のマンション工事が始まりました。
 こんなにも教会がきれいに!
映っています。

2016年9月11日日曜日

9/11 礼拝と献花

 本日の礼拝献花でした。夏を懐かしむひまわりです。
今年の暑さは、あまり懐かしみたくありませんでしたが。

こちらは彼岸花です。秋の草花の代名詞です。
受付横に飾られています。

 本日は、周南市内の中学校で運動会とのことでした。となりの秋月中学校から、
8:45ごろに大轟音がなりました。運動会、やりますよという合図でしょう。

 教会の礼拝はそれぞれ行われました。

今週、来週と以下のように行事があります。

 9/13(火)徳山C聖書の学び
  15:00~16:00


 9/15(木)には、
       益田にて、小浜礼拝13:00~
       益田教会では 14:00~ 礼拝、 
        六日市礼拝 19:30~ です。

 9/18(日)徳山10:45~
       柳井10:30~ 
        防府15:30~




いずれの礼拝、集会にもどなたでもご自由にお越し頂けます。

 本日の礼拝説教のまとめです。



【ルカ福音書15110節】
私は、本日の見失った羊の譬え」で残りの99匹が気になります。無くした銀貨の譬え」あと9枚あるじゃないかと考えます。皆さんは、聖書の羊の1匹と99匹、銀貨の1枚と9枚をどう評価するか。もともとイエスさまは、掛け替えの無い一匹,一枚として、更に誰もが「神さまのみ前での一人」として、聞き手であるファリサイ派に語ったお話しなのです。

まず迷子の羊の話です。一匹が行方不明になってしまった。居なくなって良いものではありません。99匹を残して一匹を探しに行きます。狼や山犬、略奪者からの脅威は考えない。兎に角一匹が大切だったのです。羊飼いを卑しい職として交流しないファリサイ派には理解が及ばないことです。ファリサイ派には、一匹の存在の価値が分からないのです。イエスさまは、この話を通して、どのような(不届きな)人でも、神さまの前での価値を語る。

そして銀貨の話です。私は短いこの話が大好きです。ドラクメ銀貨という通貨は、ローマのお金で、ユダヤでも通用だが異国の金銭です。後生大事に、通用するとは言え異国の金銭を持つこの人は何者か。異国から嫁いだ嫁でしょう。異国の両親は不意金として銀貨10枚を渡し、彼女は大切にする。一枚でも無くしたら大変なのです。異国の地で身一つで頑張るご婦人です。寂しい時には銀貨を眺め、故郷の山河を懐かしみ、両親を思い出す。異国人を蔑視するファリサイには分からないことです。神の眼差しには、どのような人も区別ない。

一匹を、一枚を大事にする話です。99匹の羊、9枚銀貨は確かに気になります。問題は私たちがそれぞれ「一匹だ、一人だ」と考えるときです。でも主がいます。そこで、迷い、居場所を無くす違う羊がいないか。私たちは、探し求める良い羊飼いやご婦人にはなれません。むしろ、不安な彼ら、彼女に寄り添う羊には成れないか。問われています。
 

2016年9月9日金曜日

2016.9.8 益田の海


2016年9月8日(木)益田の信徒を訪問後、海がきれいだったので撮りました。

2016年9月4日日曜日

9/4 礼拝と献花


 9月初めの礼拝、聖餐式が行われ、多くの兄弟姉妹が教会に集いました。

 愛さんも再開し、本日は天ぷらうどんでした。3杯お代わりした人もいます。

 本日の献花は百合とオシロイバナ。オシロイバナは教会庭に咲き誇っています。

 今週、来週と以下のように行事があります。

 9/6(火)徳山C聖書の学び



 9/8(木)には、
       益田にての 14:00~ 礼拝、 
        六日市 19:30~ です。

 9/11(日)徳山10:45~
       柳井10:30~ 
        防府15:30~


 本日の礼拝説教のまとめです。




【ルカ福音書142533節】
 家族を憎み、計算高く計画し生きる。不能ならば弟子ではない。これは主の言葉の中でも恐ろしいものです。憎む」とは、主体的な自身の感情です。自ら進んで憎むことはまずないでしょう。しかし原因と結果としての憎しみがあります。わだかまりがあって、それが憎しみに到達することは少なからずあります。それは永遠には続かず一過性のものなのです。渦中の時も和解を信じたい。そこで主の「憎め」の言葉の真意が慰めになります。

 言うまでもなく文字通り実行していたら大変なことです。この憎め」の勧めは誇張した表現で、意味は33節と一緒です。自身の持ち物ではないということです。命も家族も全ては己が手にはない。捨てる、憎むとは委ねると同じ意味なのです。経験がありますが、家庭内の騒乱の主とした原因は自身でしょう。言う本人は良かれと思うのです。だがそれが当人の願いとは違うのです。人は物心付く自分から徐々に自身の十字架を担います。私たちは他者の十字架にあれこれと思う。自身のすら担いきれないのに口を出すのです。

 中後半の例え話は、自身と他者をごちゃにすることへの戒めです。塔を建てる話。予算不足での強行で嘲りの対象となるのを避けるため、自身の持ち物とそれ以外を区別する必要です。戦争の話も同様。手持ちは一万、敵は二万。無理なら自身の誇りを捨てて降伏する。自身の兵隊や命を相手に委ねるのです。捨てる、手放す、任せるへの勧めです。

スペインに未完の塔」世界遺産のサグラダファミリア教会です。資金不足が遅延の理由です。人の計画は中断を余儀なくされるものです。しかし、時を待ち、委ねつつ建築を進める。その心持ちで建設は継続されています。あれこれと案ずる時があります。だが神は全てを良きに計らうのです。だから、全てを自身で抱えている人の隣人となりたいと思います。